カルロス・ゴーン被告、日本からの逃亡方法をインタビューで語る

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ゴーン被告は初めて、この逃亡劇について詳細を語った。どのようにして東京の街を気付かれずにすり抜けたのか、なぜ大きな音楽機材の箱が選ばれたのか、そして故郷レバノンにたどり着いた時の高揚感はどのようなものだったのか。

ゴーン被告は逮捕後、東京拘置所へ連行され、勾留されている他の人たちと同じ服を着せられ、単独室に入れられた。

「突然、私は時計も、コンピューターも、電話も、ニュースも、ペン1本もなく暮らすことになった。何もなかった」

ゴーン被告の勾留は数カ月にわたった。保釈後は都内の自宅で24時間監視状態に置かれた。裁判の開始時期は不明で、数年かかる可能性もあった。そして、もし有罪となれば、刑期が最長15年に及ぶ可能性があった。日本では刑事裁判の有罪率が99.4%だ。

自宅にいた間、ゴーン被告は妻のキャロル氏との接触は一切行えないと言われた。逃亡を決めたのはこの時だったという。

「計画では、私は顔を出せなかったので、どこかに隠れる必要があった」とゴーン被告は語った。

「隠れられるのは箱や荷物の中など、誰も私の姿を見れず、認識できないものだけだった。それならいけると思った」

また、通常は音楽機材を入れる大きな箱を使うのは「もっとも論理的だった。特に、日本では冬にたくさんのコンサートが開かれるので」と話した。

しかし、どうやって日本でかつてこれほど有名な(現在は悪名高い)人物が都内の自宅から抜け出し、空港へ行き、逃亡できたのだろうか。

ゴーン被告によると、計画ではその日はできるだけ普通に過ごすことにしていたという。

「いつもどおりの日に、いつもどおりの服でいつも通りに散歩し、いつも通りの態度で過ごして、突然全てを変える。そうしなくてはならなかった」

この計画のため、ゴーン被告は世界的な自動車企業の経営者として何年も着てきたスーツから、ジーンズとスニーカーというカジュアルな服装に切り替えなければならなかった。

「今まで行ったことのない場所で、買ったことのない服を買わざるを得なかったのが想像できるだろう。こうしたことは全て、成功のチャンスを最大限にし、注目を浴びないための努力だった」

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https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-57830886


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Source: バイク速報

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