中央道の七不思議?高井戸IC下り線に「入り口」がないワケ

frer

車での移動を便利に快適にする高速道路。東京はもちろん全国に整備され、新たな区間の開通やジャンクションの設置が進められています。そんな中でナゾと言われるのが、杉並区上高井戸にある「高井戸インター」。中央道の下り線入り口が設置されていないのです。いったいなぜなのでしょうか。

高井戸インターに下り線の入り口が設置されないのは、近隣の烏山北住宅(世田谷区北烏山)との兼ね合いが大きく関係しています。

烏山北住宅は、世田谷区に位置する住民団地で1966(昭和41)年に入居を開始します。この時点で、中央道が烏山北住宅の真ん中を通ることは計画で決まっていたのですが、なんと入居した住民には全く知らされておりませんでした。

これに驚いた烏山北住宅の住民たちは、1970年7月に中央道の建設反対運動を起こします。これにより、中央道の建設が3年4か月にわたり中断せざるを得なくなります。

騒音と排気ガスの対策として烏山シェルターと呼ばれるトンネルを設置することにより、どうにか問題解決を図ろうとします。中央道の高井戸インターの周辺に、山間部ではないのにトンネルがあるのには、そういった理由があるのです。

さらに、烏山北住宅の問題と並行して高井戸インターの位置や構造を変更する案も浮上しますが、そうしたらそうしたで、また新たな問題が発生してしまいます。

高井戸インターの位置や構造を変更する案が出されますが、移動先の近隣住民から建設反対運動が起きるなど、とにかく問題が山積みで建設工事が一向に進まない状況となってしまいます。

そんな膠着した事態に、なんと高井戸インターの隣の調布インターのある調布市がしびれを切らします。

中央道の高井戸インターまでの開通が遅れている影響で、暫定的に起点と終点を担っている調布インター周辺の交通状況や環境が極めて悪化していたのです。

これ以上悪化させるわけにはいかないと考えた調布市議会は、1973(昭和48)年8月に当時の調布市長と市議会議長が先頭となり、調布インターを封鎖するという、とんでもない政策に出ます

これにより、とにかく中央道を早く開通させなければいけなくなったのですが、烏山北住宅への騒音と排気ガスの対策として設置予定となった烏山シェルターの効果が十分とは想定されず、1975年に杉並区の富士見小学校などの近隣施設から、さらなる対策の要求が出されます。

結局、烏山シェルターの対策強化や富士見小学校の校舎騒音対策を強化することで合意することで建設工事を進めて、ようやく1976年5月に調布インター―高井戸インター間が開通します。

しかしこの段階では、中央道側の高井戸インター出入口は設置されていない状況にありました。まだ、インター設置場所の許可がなかなか取れなかったのです。

上り線の出口だけは、中央道全線開通から4年後の1986年に開通しますが、下り線の入り口はいまだに近隣住民との合意形成が図られず、設置されていないのです。

https://urbanlife.tokyo/post/69097/


続きを読む
Source: バイク速報

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク