「関東連合リーダー」2カ月間を苦しみ抜いて死去、コロナ重篤化・脳梗塞・体中に自傷行為の痕

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2012年に発生した六本木クラブ襲撃事件など、数々の暴力事件を起こし、2013年には警視庁が新たに規定した「準暴力団」にも指定された半グレ集団、「関東連合」。そのリーダーの一人だったとされる柴田大輔氏が、28日までに亡くなっていたことが判った。柴田氏に近い関係者が明かす。

「感染した新型コロナが重篤化したことで、今年に入って入退院を繰り返していました。若いころに筋肉増強剤を長期間にわたって服用していたため、副作用で血栓ができやすく、軽度ですが何度か脳梗塞も起こしています。11月も短期間、入院していました。体調が思うように回復しないことで、苦しんでいるようでした」

ここ2カ月間、柴田氏は何度も自傷行為をおこなうなど精神的にも悩んでいる様子で、精神安定剤を服用していたともいわれていた。連絡が取れないことを心配した友人らによって自宅で発見されたときも、体中に切り傷があり、首に大きな刺し傷があったとされる。

新型コロナの後遺症もあるが、ここまで柴田氏の精神を蝕んだのは、六本木の事件後のかつての仲間との関係だという。前出の関係者が語る。

「柴田さんが工藤明男名義で『いびつな絆 関東連合の真実』を上梓したのは有名ですが、そもそも、事件直後から警察のスパイではないかとの疑惑の目を向けられていたのです。

柴田さんにすれば、当時、すでに関東連合とは無関係のビジネスを成功させていて、むしろ関わりたくなかったのが本音でしょうが、主犯である見立慎一容疑者ら、襲撃犯が頼ってきたので相談に乗らざるを得なかったのです。

実際、ビジネスを成功させていた別のOBは、警視庁と協議し、海外に逃亡した襲撃犯たちの帰国の段取りをつけたりしています。柴田さんは警視庁の要請を断わっていたのですが、一部のメンバーからは“裏切り者”とされていました。そのため、ずっと襲撃の恐怖にさらされていたのです」

2022年で、事件から10年を迎える。襲撃犯の中でも特に関与の度合いが強かったメンバーの出所も、順次始まるとされるなか、柴田氏が何を思っていたのか、今はもうわかる術はない。

https://news.yahoo.co.jp/articles/1090fca0d28aafd0591a6e98f6141aa03367b0cf

関東連合

東京都世田谷区や同杉並区の暴走族の連合体として1973年に結成され、2003年に解散。ところが解散後もOB(元メンバー)同士が上下関係に基づく強い絆で結束しているとされ、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその名が登場してきた。そうした解散後の状況下にあっては、このOBらの結び付きを指して“関東連合”と一般に呼んでいる。

東京都内の渋谷、六本木、西麻布、および新宿のいわゆる“地下社会”にて「一定の勢力を誇って」いて、「既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団」を意味する“半グレ”の象徴的な存在と言われる。その点では「怒羅権(首都圏を拠点とする中国残留孤児2世3世や中国人からなる準暴力団)」との類似性も指摘される。“愚連隊”と称されることもある。改正暴力団対策法や暴力団排除条例の影響で表立っての活動を失速させた暴力団に代わる形で台頭してきた勢力とする見方もある。東京都内のいわゆる“アンダーグラウンド”界隈では1990年代初頭期頃からその名が広く通っていたものの、歌舞伎役者の市川海老蔵 (11代目)を巻き込んだ2010年の「海老蔵事件」をきっかけとして全国的に知られる存在となったと見られている。

溝口敦によれば、2012年に発生した「六本木クラブ襲撃事件」の結果、翌2013年までに「解体の危機」と言える状況に陥った。瓜田純士によれば、「関東連合」を名乗って活動している者は2014年中盤時点でほぼ皆無、勢力はほぼ消失しており、事実上、「関東連合」は壊滅状態となっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/関東連合

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Source: バイク速報

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